中坊だった私に「続けることは力である」と,松浦功校長先生は教えてくださった。絵が苦手な画家と算数嫌いの数学者という友人の例え話しと共に…。
算数・物理コンプレックスだから文系に進学したし,大学でコンピュータに興味を持ったからカタカナ社名のソフト会社に入社した。
そんな私が数学と物理学を元にした工学系の仕事をしている不思議。
人は人の数だけ正義の物差しを持っている。一人一人異なる長さやスケールを持っている。
その物差しで自分以外の人を測ることほど人にとっての愚行はない。
人にとって成長とはなんだろう?
少し前に,人から「全然成長してない」みたいなことを言われてずっと考えてた。
半世紀近く生きた今では,体の成長なんてなくて朽ち果てて行くだけ。だけど心は幾つになっても成長できるように思ってた。
でも今朝何気に思った。半世紀近く生きたのなら十分に大人で,心は成熟してなきゃおかしいんじゃないかと。
己の顔(生き方)は自分で創り,一途になれるものに情熱を傾ける。一度や二度失敗したからといって決して諦めない。今生を貫く何か。
若い子の成長は,体も心にも変化を伴うものだと思うし,駄目だった過去を捨てて新しい世界に飛び込むみたいな冒険もありだと思う。
でも大人にとっては,都合悪くなった過去を捨てて,明日へ繋がっているか解からない今を生きるような生き方は,確かに変化を伴っているが,そこでどれだけもがき苦しんでも,努力を重ねても,一歩下がって一歩昇ったところで現状維持でしかない。一歩進む努力が報われない。それは決して成長とは呼べない。むしろ未成熟の証だろう。
成長の到達点は成熟した心だと思うから,自分らしさ,己の顔,生き方,一途になれるものを見つけ,それを最期まで貫くこと。それが成長の証なんじゃないだろうか。成長するんじゃなくて既に成熟していること。
つまり,成長なんて言ってる歳じゃありませんよ!ってことだな(苦笑)
だから,大人にとっての成長は,時代に左右されず,時の流れの中に埋もれず色褪せない。ブレずに一本ビシっと芯の通った己でいること。
つまりは,「変わらない」ということなんだろうと思う。
まさに「金の切れ目が縁の切れ目」な出来事が昨年から現在まで継続中で,一度切れた縁は永遠に戻らないだろうと思うから,人様との良好な関係を維持するには,最低限の金が必要だと痛感してる。
何も人様の気持ちを金で買おうと言うんじゃない。だけど,ビジネスマンとして,男として,あるいは夫として父として,男には外面がどうしても大事だから,湿気た顔してちゃ人様に笑われるし,運気も逃してしまうというもの。
リーマンショック以降から建設業界全般が低迷してるし,GenSのお客様だって不景気に喘いでいるのが現状だ。
業界の末端である私にその余波が来ないはずはない。仕事が減って真っ先に切られるのが私のような外注業者だ。
だけど,超低空飛行の自転車操業ではあるが,辛うじて食えるだけの仕事を下さるお客様に心から感謝したい。
今年後半は建設業界に動きがある予感がするし,既に動き始めている実感もあるから,新たな縁を結べるように,途切れてしまった縁だってもう一度結び直せるように,少なくとも「金の切れ目が・・・」なんて哀しい理由にならないように,しっかり働いてしっかり稼ぎたい。
この夏を,底を蹴って浮上する始まりの季節としたい!
「恋しい」とか「愛しい」とか,あるいは「尊敬してる」とか「役に立ちたい」「力になりたい」とか,胸に秘めたる想いを形にする努力,想いを届けようとする努力,それこそが「愛」なんだと思う。
恋人や夫婦が,互いの誕生日や何かの記念日にプレゼントを贈ることだってそう。普段中々伝えられない想いを形にすることで,目には見えない想いを相手に伝えようとしているから。だから,形や証しを求めることはとても自然なことだと思う。
確かに「愛」に形はない。人それぞれだと思う。
だけど,形がないからこそ,想いを解かりやすく相手に伝える努力が大事なんだと思う。
「愛=形にする努力」の先に,誤解でも勘違いでも思い過ごしでもなく,真の「理解」が得られるんだと,私は思う。
前に進むクルマの場合,前後輪のバランスは,前輪が細く小さく,駆動力を地面に伝える後輪は太く大きいHOTRODな雰囲気が好み。獲物を狙う猫科の動物よろしく前傾姿勢で上体を伏せて腰を高く上げる感じ。
だけど左右のバランスが悪いのだけはいただけない。それじゃ真っ直ぐ前には進めない。
右か左かどっちかに曲がってしまって,進もうとすればするほどハムスターの回り車みたいにグルグル回って,結局同じところに返ってくるだけ。それじゃいつまで経っても前には進めない。
人間だって同じかも。
たとえば,仕事に必要な「技術」と「人脈」もクルマの両輪のように左右のバランスが大事。
技術だけあっても人脈がなけりゃ技術を発揮する機会は得られない。人脈だけいくら作っても,相手のために貢献できる技術や喜んでもらえる何かがなけりゃ,それもやっぱり哀しい。
夜のミナミの私の居場所は,笠屋町三ツ寺にある「City Bar 吉香」だった。
大学を出て会社勤めを始めた私が,同期入社の同僚女性二人と一年先輩の男性の四人で,会社行事の飲み会の後,「朝まで飲もうゼっ!」って勢いでドアを叩いたのが始まり。
結局朝の5時まで飲み明かし,一睡もすることなく呑んで歌って大騒ぎした。
あれから昨年夏に閉店するまでの実に24年もの間,吉香(よしこ)は私の夜のただひとつの居場所だった。
ついこの前のことのようにも思えるが,七回忌はとっくに過ぎ,本当なら十三回忌のこともそろそろ考えなくちゃいけない時期になった。
でも,昨年春に母と妻と二人の娘を連れて善光寺さんへ行き,「これを十三回忌法要の代わりにするからね」と,私は亡き父に報告している。
母がなぜか明るい声で,「お父さん死んだみたいよ」って私の勤務先に電話してきたことが,遠い昔のことのようにも思える。
好きな人の呼び方は,彼女 君 あなた Baby
自分のことは,僕
よく詩に見られる言葉は,月 星 空 太陽
手 指 唇 顔 生まれたままの姿 裸 肌 夜 ベッド 触れる 暖め合う
嗜好は,古着 ドクロ 猫 ギター
ギターの好みは,ストラトキャスターじゃなくてテレキャスター,ハムバッキングじゃないシングルコイルのLes Paul,Epiphone CASINO・・・
それから,ださいはずのカポタスト,ビートルズ,ション・レノン
人間誰しもひとつくらいは座右の銘というほどでなくても,心に残る言葉を持っているはずです。
救われたとか,癒されたとか,勇気付けられたとか。そんな大事にしている言葉があるはずです。
そんな言葉をくれた人生の師匠との出会いがあるはずです。
私にも大切な言葉があります。