約束
- GenS的思考・嗜好・志向
- by GenS
- 2011/05/13 金 17:41
ついこの前のことのようにも思えるが,七回忌はとっくに過ぎ,本当なら十三回忌のこともそろそろ考えなくちゃいけない時期になった。
でも,昨年春に母と妻と二人の娘を連れて善光寺さんへ行き,「これを十三回忌法要の代わりにするからね」と,私は亡き父に報告している。
母がなぜか明るい声で,「お父さん死んだみたいよ」って私の勤務先に電話してきたことが,遠い昔のことのようにも思える。
でも,昨年春に母と妻と二人の娘を連れて善光寺さんへ行き,「これを十三回忌法要の代わりにするからね」と,私は亡き父に報告している。
母がなぜか明るい声で,「お父さん死んだみたいよ」って私の勤務先に電話してきたことが,遠い昔のことのようにも思える。
父は血圧が高いことを除けば特に病気だったわけでもないし,元気でピンピンしていたから,「誰が死んだって?みたいって何?」と何ども聞き返したことを思い出す。母にとっても悲しいというより,あまりに突然で信じられなかったんだろう。
私にはそんな父と交わした約束がある。
あの世はあるか? 幽霊はいるか? という話になったとき,父は「俺が死んで,あの世へ行って幽霊になるなら,あの世がどんなところかお前の枕元に立って教えてやる。」と言った。
日頃から「百五十歳まで生きる。」が口癖だったし,大きな怪我や病気もしたことのない達者な人だったから,本当に生きるかも? と思って,私も「俺は百五十歳まで生きる自信もそのつもりもないから,もし俺が先に死んだら,親父の枕元に立って教えてやる。」と父に約束した。
そんな馬鹿な約束なんてずっと忘れていたけど,父が死んで思い出した。
私は一人息子なのに両親と離れて暮らしているから,父と最後に会ったのがいつだったのか,何を話したのか思い出せない。久しぶりの再会が葬式になろうとは思いもしなかった。
お通夜の晩は一晩中起きて心の中で叫んでいた。「約束どおり出て来い!」って。
あまりに急だったから,普段離れて暮らしているから,私には父に聞きたいことも,一緒にしたいこともいっぱいあった。
父は生前「俺は仏教徒じゃないから,死んでも寺で坊主に経を上げてもらうのはお断りだ!」とよく言っていたにも関わらず,やっぱり何もしないわけにも行かないし,葬式は故人のためというより残された者のためにするものだと思うから,私は父の意に反して浄土真宗東本願寺派の葬式をしてやった。
さぞ不愉快で怒って化けて出てくるかと思ったが,いままで一度も父が枕元に立ったことはない。
だから私は,人は土から生まれて土に帰るだけなんだと思う。この世に強い未練や怨念があれば幽霊になったりするのだろうか。幽霊になるにも資格や待ち時間など,霊界にも色々都合があるのだろうか。
いやきっと違う。
人が死んで行くところなど何処にもない。ただ土に帰るだけ。今ではあの世もなければ幽霊もいないと,父が証明してくれたんだと思っている。
霊界の存在や輪廻転生を信じる方には大変申し訳ないが,私にとっては証明されたことだから,人は一度しかない人生を必死に生き,同じときを生きる人に尽くし,人様の役に立たなくちゃいけない。
死ぬそのときに,己の一生を振り返って,いい人生だったと笑顔で死ねるように,あの世でも来世でもなく,二度とないこの短い人生において,「生きて何をするか」が大事なんだと思う。
ましてや親から与えられた一つしかない命を粗末にするなどもってのほか。大切にしなくちゃいけない。父がそう教えてくれたんだと思っている。
父が知る小学生と保育園児の二人の孫娘も,いまや大学生と高校生になった。気がつけば二人の娘にあの日の父と同じ約束をしている自分がいた。
娘たちは,「俺が死んだら遺骨は吉野川へ撒け!葬式も墓も要らん!」と言っている私の意を酌んでくれるのか,それとも私がそうしたように,南無阿弥陀仏と念仏を唱えるのかわからないが,彼女らの心にこの世に生きる意味を,その大切さを伝えることが出来たなら,私は笑顔で土に帰ることが出来るだろう。
でも,心の片隅には「待たせたな。あの世にも色々都合があってな。でも約束どおり出てきたぞ!」って,父が枕元に立ってくれることを願っている私が今もいる。
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私にはそんな父と交わした約束がある。
あの世はあるか? 幽霊はいるか? という話になったとき,父は「俺が死んで,あの世へ行って幽霊になるなら,あの世がどんなところかお前の枕元に立って教えてやる。」と言った。
日頃から「百五十歳まで生きる。」が口癖だったし,大きな怪我や病気もしたことのない達者な人だったから,本当に生きるかも? と思って,私も「俺は百五十歳まで生きる自信もそのつもりもないから,もし俺が先に死んだら,親父の枕元に立って教えてやる。」と父に約束した。
そんな馬鹿な約束なんてずっと忘れていたけど,父が死んで思い出した。
私は一人息子なのに両親と離れて暮らしているから,父と最後に会ったのがいつだったのか,何を話したのか思い出せない。久しぶりの再会が葬式になろうとは思いもしなかった。
お通夜の晩は一晩中起きて心の中で叫んでいた。「約束どおり出て来い!」って。
あまりに急だったから,普段離れて暮らしているから,私には父に聞きたいことも,一緒にしたいこともいっぱいあった。
父は生前「俺は仏教徒じゃないから,死んでも寺で坊主に経を上げてもらうのはお断りだ!」とよく言っていたにも関わらず,やっぱり何もしないわけにも行かないし,葬式は故人のためというより残された者のためにするものだと思うから,私は父の意に反して浄土真宗東本願寺派の葬式をしてやった。
さぞ不愉快で怒って化けて出てくるかと思ったが,いままで一度も父が枕元に立ったことはない。
だから私は,人は土から生まれて土に帰るだけなんだと思う。この世に強い未練や怨念があれば幽霊になったりするのだろうか。幽霊になるにも資格や待ち時間など,霊界にも色々都合があるのだろうか。
いやきっと違う。
人が死んで行くところなど何処にもない。ただ土に帰るだけ。今ではあの世もなければ幽霊もいないと,父が証明してくれたんだと思っている。
霊界の存在や輪廻転生を信じる方には大変申し訳ないが,私にとっては証明されたことだから,人は一度しかない人生を必死に生き,同じときを生きる人に尽くし,人様の役に立たなくちゃいけない。
死ぬそのときに,己の一生を振り返って,いい人生だったと笑顔で死ねるように,あの世でも来世でもなく,二度とないこの短い人生において,「生きて何をするか」が大事なんだと思う。
ましてや親から与えられた一つしかない命を粗末にするなどもってのほか。大切にしなくちゃいけない。父がそう教えてくれたんだと思っている。
父が知る小学生と保育園児の二人の孫娘も,いまや大学生と高校生になった。気がつけば二人の娘にあの日の父と同じ約束をしている自分がいた。
娘たちは,「俺が死んだら遺骨は吉野川へ撒け!葬式も墓も要らん!」と言っている私の意を酌んでくれるのか,それとも私がそうしたように,南無阿弥陀仏と念仏を唱えるのかわからないが,彼女らの心にこの世に生きる意味を,その大切さを伝えることが出来たなら,私は笑顔で土に帰ることが出来るだろう。
でも,心の片隅には「待たせたな。あの世にも色々都合があってな。でも約束どおり出てきたぞ!」って,父が枕元に立ってくれることを願っている私が今もいる。
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