正しさとは?
- GenS的思考・嗜好・志向
- by GenS
- 2013/01/21 月 12:40
自分の物差しで勝手に相手を測り,間違っているとみれば,非難し,非を論い,見下し,ときに存在すら否定する。
深層心理としては比較の理論が働いていて,相手の非を論うことは己の正義を主張することと直結しており,相手を貶め見下すことで己を優位にする。
つまり,地に足の着いた絶対的な正義の尺度ではなく,常に自分以外の人との比較によるから,自力で己を優位にできなければ,相手を見下し否定することで相対的に優位に立とうとする。
これが厄介なのは,おおむね被害妄想と責任転嫁というネガティブ思考の最強タッグに支配されている場合が多いからだ。
自力での優位が難しいと,自らの選択や自ら招いた失敗の原因と責任を相手に押し付ける。この最強タッグが恐ろしいのは,これらのことが無意識にオートマティックに実行されることだ。
しかも,「自分は正しい」「私は被害者=非はない」と思えるからこそできる事だから,反省すべきは常に相手であって己ではない。相手に何度も言ったのに改善されない=成長のない人=付き合うべき人ではない=こちらから縁を切ろう,なんて発想にまで至る。
そして,常に己の正義を疑わないから,ときに非情な己の選択も許してしまう。
己の正義を信じればこそだから,このような負のスパイラルを断ち切るには気付きが必要。己の正義の物差しは己自身しか測れないことを知るだけ。相手にも相手の正義があることを知る。たったそれだけだが,こればかりは外からの外圧ではどうしようもない。
人の間を渡り歩いて,人間関係の始まり方は色々でも,終わり方がいつも同じであることに疑問を抱き,原因が己に内在することに己自身で気付く以外にない。
気付きを得たならば,信じるべきも許すべきも,己ではなく相手であることが理解できるだろう。
いい人に巡り会えれば幸せで,悪い人に出会ったから不幸になった。なんて相手任せの博打みたいな人生に別れを告げて,人生が自分自身のものになるだろう。
職を転々とする人や,友達が少ない,恋が長続きしないなど,人の間を彷徨い歩く人は,おおむね上述のような精神構造である場合が多いように思う。
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深層心理としては比較の理論が働いていて,相手の非を論うことは己の正義を主張することと直結しており,相手を貶め見下すことで己を優位にする。
つまり,地に足の着いた絶対的な正義の尺度ではなく,常に自分以外の人との比較によるから,自力で己を優位にできなければ,相手を見下し否定することで相対的に優位に立とうとする。
これが厄介なのは,おおむね被害妄想と責任転嫁というネガティブ思考の最強タッグに支配されている場合が多いからだ。
自力での優位が難しいと,自らの選択や自ら招いた失敗の原因と責任を相手に押し付ける。この最強タッグが恐ろしいのは,これらのことが無意識にオートマティックに実行されることだ。
しかも,「自分は正しい」「私は被害者=非はない」と思えるからこそできる事だから,反省すべきは常に相手であって己ではない。相手に何度も言ったのに改善されない=成長のない人=付き合うべき人ではない=こちらから縁を切ろう,なんて発想にまで至る。
そして,常に己の正義を疑わないから,ときに非情な己の選択も許してしまう。
己の正義を信じればこそだから,このような負のスパイラルを断ち切るには気付きが必要。己の正義の物差しは己自身しか測れないことを知るだけ。相手にも相手の正義があることを知る。たったそれだけだが,こればかりは外からの外圧ではどうしようもない。
人の間を渡り歩いて,人間関係の始まり方は色々でも,終わり方がいつも同じであることに疑問を抱き,原因が己に内在することに己自身で気付く以外にない。
気付きを得たならば,信じるべきも許すべきも,己ではなく相手であることが理解できるだろう。
いい人に巡り会えれば幸せで,悪い人に出会ったから不幸になった。なんて相手任せの博打みたいな人生に別れを告げて,人生が自分自身のものになるだろう。
職を転々とする人や,友達が少ない,恋が長続きしないなど,人の間を彷徨い歩く人は,おおむね上述のような精神構造である場合が多いように思う。
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